課外活動の不安
自分の強み(としてアピールしたい) 分野はプログラミング、音楽、SDGsの活動だ。
大学にアピールするときに大切なのは、やはりこれらの事が「ただ好き」だけでなく、何か実際にインパクトを残すことが求められる。(この時点で不安)
これまで日本の大学受験のために勉強を頑張ってきて、これら課外活動は「趣味」的な位置づけでやっていた自分に「インパクト」なんてものが残せるのだろうか?
また、個々の課外活動を独立してやるのではなく、それらを融合した活動をすることで「僕はコンピューターサイエンスとSDGsに興味がありました。だから、この二つをくっつけて誰かを助けたいと思いました!」などという(意識高い系っぽい)情熱溢れる人物をイメージさせることができる。
他の合格者のプロフィールを見てみると、「私は〜〜という団体の創設者です!」「世界のロボットの〜〜という大会で準優勝しました!」「「私は生物にとても興味があって〜〜という研究をしました!」などなど豪華な経歴ばかり。
素直に尊敬するが、こんなの自分には到底無理だろう、とも感じる。逆に、こんな化け物みたいな人しかアメリカの大学に合格できないなら、自分は不適格だ。(開き直り)
しかし、実際に自分の魅力をアピールするにはこうやってウェブサイトを作って、凄そうなことを書いて並べて、「こいつはすごい」という第一印象を抱かせるのが大切だそうだ。そして僕も最終的にはこういうウェブサイトを作ると思うので、どんな感じになるのか楽しみだ。(同時にできるか不安だ)
こんな感じのことを知ってくると、海外の大学受験は「ただ単に何かやる」のではなく「戦略的に自分のプロフィールから逆算して活動をする」ことが求められるとわかってくる。いわば大学側の求めている人物像を丁寧に演じなければいけないのだ。(僕はそういうの嫌いです)
ここで少し脱線するが、留学を目指してから日本とアメリカの学校どっちにいくのが自分のためなのだろうかと考えてしまう。
日本の大学は、入ったらあまり勉強しない・サークルなどができる・刺激は少ない・四年生になったら就活して就職するというこの先進んでいく未来が見えている
海外の大学は、入ったら寝る間も削って勉強・勉強に余裕があったら他の活動もできる・刺激(とストレス)がたくさん・未来が見えない
という個人的な認識だが、これだけみると、海外の学校に行った方が自分を高めて、刺激的な毎日を過ごすことができ、おそらく英語でのコミュニケーション力も上がるというポジティブな未来が見えるはずだ。
でもなぜだか自主的な活動をバンバンして自己肯定感に溢れて笑っている自分を考えると「こんなふうにはなりたくない」という感情が存在する。客観的に考るとおかしい。
海外のトップ大学に合格した人のYoutubeやプロフィールなどを見ていると、言葉では言いにくいが「自分達は社会のためにいいことをやっていて、社会に貢献できることが自分の幸せです!」という、どこかでみんな感じている「学校だるい、一日中Youtube見てたい、まあいい感じに勉強して普通に暮らせればいいでしょ」という負の感情が一切排除された気持ち悪さを感じる。(決して僻みではありません)
これからの人生「世界にインパクトを殘す」ことにのみ対して幸せを感じ、「だらだら友達と部活をやる」みたいな「だらだら」の楽しさを失ってしまう未來が怖い。(それはインパクトを殘す能力があって初めて言えること、自惚れるな)
要は、僕は (so-called)「意識高い系」に自分もなってしまいたくないという、客観的に見ればくだらないことで悩んでいるのだ。
少し脱線したが、「自分は海外に行って成長したい、そしてそのためには課外活動をやらなければいけない」・「意識の高さをアピールするために趣味を無理やり課外活動に結びつけて自分を偽りたくない」という二つの相反する感情が、「すれ違う境界」を心の中に作っている。二方向から別の方向に引っ張られて、心は二つに引きちぎれそうだ。これではどちらの方向に全力で進めばいいのか分からない。
うつ的なことを書いてしまったが、今週から試験1週間前だ、とりあえずは目の前の勉強に集中しよう。海外の大学出願では学校の成績 (GPA) は最も大切な選考基準の一つだ。

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